いつも素敵なセミナーを企画してくれる、テンプルビューティフルのNaokoさんが、
坐禅会を開催するとのことで、参加してきました。

ここ最近、日本における禅の祖師、道元に興味があったところなので
タイムリー、やった~♪

人間は在りのままで仏性をもっているという道元の思想や
(グノーシス派の、人間が神であるというのと同じように)、
宋の滞在は2年なのに、ベルリッツもないあの時代、彼が中国語をマスターできたのは、
高次元に繋がる方法を知っていたのでは?なんて話もあったりして。

そんなことで、坐禅への興味がメラメラと広がり、
坐禅で高次元に繋がれるのか?そこも体験したい、なんて思ったのです(^^;


坐禅が瞑想と違うのは、半眼で行うところ。
線香一本が燃え尽きるまでの間、ただそこにいて坐るだけ。
(もちろんこのクールを何回か繰り返してもOK)

坐ることには、意味も価値も何もなく、ただ在るだけの状態だそうです。

そして坐り続けると、ある心身状態で自己、他者という二元論の関係性が崩れ、
自意識や、自己認識が崩れていく・・・、道元のいう“心身脱落”です。

その境地に到達できるのは、
“足がひどく痺れて苦しいので、早く終わりの鐘を鳴らして欲しいです”、
という私のような心の状態を、とうぜん超越してからになります。

う~ん、極めるとリコネクションと同じ、
判断や自我(エゴ)を超越した状態になれるようです。


昨今のスピリチャルは、楽しくてワクワクしないことは、
やらんでもよいという風潮があるので、
厳格な修行や作法を重んじる禅の哲学が、新鮮でした。

かと言って、朝(というか夜中)3時半起床で、凍てつく中掃除をし、精進料理を食し、
朝から晩まで坐禅修行をしたいかと問われれば、ワタシはNOです。(ごめんなさい!)

素直という言葉は、素 “何もない状態”になると、直 “で天とつながれる”という意。
自分の中に流れる宇宙の真理を観るには、
素になり、子供の純粋さで自己への執着を忘れること。
そうすると、おのずと天は姿を現す。

修行して悟らなくても、、素直になり、観ようとする心の目さえあれば、
真理は自然界のあらゆるところに存在するのが観じられるはずだと、
どこかで思っています。

桜が咲き、鳥が鳴き、木の葉が色づき、雪がふる。
満月には珊瑚が産卵し、赤ん坊は、月が満ちると自然と生まれてくる。
誰が決めたわけでもないに、いつでも必ずそうなる。

すごいと思いませんか?
こんな奇跡にみちた俗世界を楽しみ、感謝しながらの坐禅が
私には一番あっているようです。

 
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長谷寺: http://www.terahakase.com/temple/detail/id/8726/
東京で、坐禅を体験したい方にお勧め (たまに、私も出没)

アイフォンアプリ: 雲堂
(Naokoさんから教えてもらった、坐禅用アプリ、
かなり使えます!)

坐蒲 : 座布団
(無いと、足が悲鳴をあげます。座布団で代用可)